職場環境でうまく立ち居振る舞えなかった僕は、自分を責め続けて、ポッキリと心が折れ、数か月の休職を経験しました。家族や友達、職場の仲間、精神科の先生、心理師さんたちに支えてもらい、少しずつ自分を取り戻すことができました。 その時間の中で自分に問い続けたのは、「自分は何を大事にして生きていきたいのか?」ということでした。
そして出てきた言葉が、 「家族を大事に、ACP『人生会議』を世の中のスタンダードにする」 という僕の夢でした。
その夢の実現に向けての時間を確保したくて、家から近い病院で働くという選択をしました。
杉野画伯との再会

今から17年前、看護の研修会で発表準備に緊張していた僕に、笑顔で「兄ちゃん、やってみ~」と声をかけてくれた方がいました。 それが杉野画伯との最初の出会い。僕のつたない発表をマンツーマンで聴いてくれて、良かった点も改善点も、やさしい言葉でフィードバックしてくれたこと、今でも鮮明に覚えています。
再会は2023年12月。あのときと同じ研修会に、今度は演者として登壇する僕。会場のオブザーバーとして、はなんと杉野画伯! 発表後のディスカッションでは、ACPの視点も交えながら会場の皆さんと意見交換ができました。感慨深い時間でした。
その後も杉野画伯とは交流が続き、「ミスターACP」の活動にもイラストを自由に使っていいと快諾いただきました。 僕の思いや葛藤も、時々聞いてもらっています。
神戸での言葉

2024年10月、日ごろの感謝を伝えたくて、妻ミロスと一緒に神戸へ。 杉野画伯おすすめのおいしい中華料理を食べたあと、LEE WAY Caf’e に行き僕の活動やこれからの看護師人生について話を聞いてもらいました。
そのとき、杉野画伯からこう言われました。
「あなたは、ほっといても患者の話を聞き、ACPも大事にしてるのはわかる。 でも、患者が病院に来るのはなぜ?アナタの話をききにじゃない。病気を治したくて来るんじゃないのか?」
この言葉が心に刺さり、悩みの日々が始まりました。
自問の日々、そして見えたもの
僕は患者とベッドサイドで関わる時間やケアを大事にしている。 でも、どうしても動きが遅くなってしまう。 「丁寧にやっているから」と言い訳していたけれど、実は、自信のなさやスキル不足をオブラートに包んでいただけかもしれない。そう考えたとき、胸の奥がじわっと熱くなりました。 じゃあ、僕が看護師として成長するために必要なことってなんだ? ACPの活動も、もしかして自分の弱さを隠すための鎧になっていないか? 心の底から、本当に「やりたい」と思っているのか?

悩んで、悩んで──5か月。ようやく出てきたのは、こんな2つの指針でした。
僕が目指す姿
① 生きたいと願う患者の応援ができる看護師になる。 そして「万が一のことも、僕に頼ってください」と言える存在になる。
② トライアスロンのトレーニングとACP普及活動をミックスする。
ACP「人生会議」は、やっぱり大切。 でも、病気を治したい患者の想いに応えられる看護師でありたい。 そのために、もう一度、看護の学びを深める必要がある。 出直し看護塾のオンラインサロンで、ケーススタディや青柳先生、サロンの仲間との対話を通じて、知識と視点をアップデートする時間をとる。
以前はACPの普及にブログを書く時間をかけていましたが、今はその時間を看護の学びに充てています。
でも、ACPを伝える気持ちが消えたわけではありません。
山を走る時間に、Tシャツのロゴを見て声をかけてくれた人と話すことで、別の形でACP「人生会議」を伝える機会が生まれています。

スタートラインに、今、立った。
僕の体は、僕の土台。 「睡眠と食事」は削らない。 娘たちの学ぶ時間の応援を妻と一緒に全力でするためにも、この体は大切にする。 だから、トライアスロンはなめてかかれない。中途半端にやったら一生の傷になる。 だから、優先順位は自分で決めて自分の生活に落とし込んでいこうとおもえました。
ようやく、夢と気持ちが1本になりました。 ここからが本番。ようやく、スタートラインに立てた──そんな気持ちでいます。
【おわりに】

時々、娘ノロスもついてきてくれます
走り続ける理由が、ようやく言葉になった気がしています。 無理なく、自分らしく、でもちゃんと向き合っていく。 そんなふうに、これからも歩いていけたらと思います。